自動車メーカーの広告

マツダが新ブランド「ユーノス」をスタートしたのが1989年。
顧客とのコミュニケーションツールを編集しました。目指したのはプレミアムチャンネル。

◎CLUB d EUNOS

1989年、1台の2シーターのライトウェイトスポーツカーが登場しました。その名は「ユーノスロードスター」。当時のマツダはプレミアムチャンネル(販売系列)として「ユーノス」ブランドを立ち上げ、マツダの大衆車とは違うちょっと高級なブランド構築を目指していました。その象徴としてこのライトウェイトスポーツカーがデビュー。クルマ好きだけでなく、多くのユーザーがホテルでの予約会に行列を作りました。そこで目指したのは、クルマを売るだけではいけないでしょ。そこから始まるお付き合いをきちんとしましょうというコンセプトで提案したのが、このコミュニケーション誌「クラブドユーノス」です。

 

CLUB d EUNOSとは、フランス語で、ユーノスはなぜかシトローエンの輸入販売も行っていました。それにちなんで
そのための、ユーザーコミュニケーションとして季刊のPR誌の編集を行ってきました。

◎クライアント ユーノス(マツダ株式会社)
本社:広島県広島市 東証1部上場
企画編集:宮崎秀雄(株式会社強力広告)
アートディレクター:笹川寿一(寿デザイン事務所)
写真:小川義文(小川義文事務所)
印刷:凸版印刷

 

ユーノス・ロードスター 1600DOHC

モノトーン基調のデザイン。

毎回パリで人物の取材。

上野まり子さんも取材。

 

シトローエンXMをパリで撮影。

ロードスターを裏磐梯で撮影。

プレミアムとは何か?

当時、マツダは高級車を販売するチャンネルがなく、「プレミアムブランド」の構築のためにユーノスを立ち上げました。その象徴的なクルマがオープン2シーターのロードスター。ただし、その後3ロータリーのプレミアムクーペ「コスモ」やセダンの「ユーノス500」などをリリースしながら、フランスからシトローエン車を輸入販売するという攻勢に出ました。

 

そんな中でユーザーとプレミアム感を共有するためのコミュニケーションツールとして、クラブドユーノスを提案し、くるみカバー付きB4版40ページ、ケナフという再生紙を使用して今までにない高級感の演出には成功したと思います。
クルマの写真もカタログ写真は流用せずに、すべて撮り下ろし。しかもクルマ雑誌NAVIのメインフォトグラファーだった小川義文氏にすべて依頼。パリでのクルマの撮影も何度か行いました。

クルマのプロモーション計画。

ユーノスだけではなく、全国のマツダの販売会社、販売店のキャンペーン等のプロモーション企画にも携わりました。
ユーノスがスタートした時、軽自動車の販売チャネルとして「オートザム」という系列も生まれました。一緒に仕事をしていた女性デザイナーのアイデアで、「MAZDA」を逆から読むと「ADZAM」となり、なぜかADをとられて「オートザム」という販売会社が誕生しました。
ユーノスがフランスから輸入したシトローエンを販売したいたのに対して、軽自動車のオートザムはなぜかイタリアからランチャを輸入販売していました。なぜなのかは分かりませんでしたが、国土交通省からの圧力みたいなものがあったとしか思えません。フェラーリのV8エンジンを搭載した「ランチャ・テーマ832」という、まさに羊の皮を着た狼と呼ばれるクルマもありました。もちろん売れませんでした。

 

マツダでは毎月販促のキャンペーンを行っていました。プレミアムと称して来場プレゼント品を開発して、来たらあげます、試乗したらあげますという古典的なプロモーションに終始していました。オートザムからキャロルがデビューする時にミスター・ドーナッツとタイアップして、原田おさむのイラストが付いた「ビンビンキャロル」というキャロルのカタチをしたビンを、ミスター・ドーナッツとオートザム店頭でプレゼントするという企画はヒットしました。
また、クリスマスシーズンには代官山にあるクリスマスカンパニーというお店とタイアップして、原宿と御堂筋のショウルームをクリスマスデコレーションして、全国1,000社余りのショウルームでもクリスマスグッズをプレゼントするという、楽しい企画も数年間続けました。
とにかく毎月お客様が来場するようなキャンペーン企画を年間12本提案して、実施する。そんな経験を積むことで、アイデアを何とか絞りだすトレーニングにもなったと思います。